自分の心の中の嘆き、世間に対して期待しても裏切られる、そんなやるせなさを題材にした楽曲です。
菅野希望さんの胸の奥に染み渡る歌声が、聴く者を震わせます。
彼女はギターの弾き語りですが、この楽曲はピアノの音色と共に。
奥深い余韻の世界に没入できます。ぜひライブで生演奏を聴いてみてください。
歌詞に迫る
塞がれた視界は 音もなく揺れて
過去すらも残さずに
絡みつくコード 繋ぐ先はなく
心の叫びはいつしか闇の中消えた
自分の信じてきた世界で、未来も過去にもどこにも自分の叫びは届かない。
絡みつくコードとは、自分の人生を表しているのかもしれません。
ねぇどうしたらいいの 誰も教えてはくれなかったな
もうこれ以上痛みはないでしょう だから私は先をいく
誰かに裏切られたのか、世間そのものに落胆しているのか、
今の自分には絶望しかみえません。
誰も教えてくれなかった。自分はこの先どうしたらいいのだろう。
途方もない虚無感が襲う中、これ以上の痛みはないのであれば、あとは進むだけです。
夜が全てをさらっても 悲しみだけが返る道
たどり着けないまま残るなら
ここにいなければ そう願うたびに
広がり落ちる滴さえ 私を溺れさせるから
このまま息もなく沈んでく
消えてしまいたい その声の丈を纏う
自分が取り残されるような感覚に襲われ、どこにも自分の居場所がないように感じてしまいます。
もういっそのこと、自分の存在すらもなくなってしまえばいいのに。
それくらいに苦しく、気持ちが塞ぎ込んでいる状況です。
包み込む不安と 反芻した重く
のし掛かる記憶にさえ
過去でしかないと つなぐ言葉も
真意はそこにしかないと気づく前に今を
のし掛かる記憶とは、楽しくて素敵な記憶ではなく、できれば思い出したくない過去なのかもしれません。
そう、過去に囚われているだけでは前に進めません。
それを真意として受け止めています。
だからこそ今が大事なのだと伝えています。
ねぇどうしたらいいの 誰も信じてはくれなかったな
もうこれ以上痛みはないでしょう だから私は先をいく
朝が全てを庇っても 苦しみだけが返る道
たどり着けないまま散るのなら
ここで開くなと そう願うたびに
広がり落ちる証さえ 私を溺れさせるから
このまま息もなく沈んでく
消えてしまいたい その声の丈を纏う
先ほどは”夜が全てをさらっても”でしたが、
今回は”朝が全てを庇っても”という表現の対比が出てきます。
庇ってくれても、どちらにせよ苦しみが残るのですね。
辿り着けないとは、一体どこに向かっているのでしょうか。
目的地に着くまでに、息も絶え絶え、消えてしまいたい感情が襲います。
いざ己を蹴飛ばせば 走馬灯のように陰る
引き止める理さえない明日を
自分の中にある沢山の思いと過去の記憶。
今まで紡いできた人生すら投げ出しても良いと思ってしまいます。
夜が全てをさらっても 悲しみだけが返る道
たどり着けないまま残るなら
ここにいなければ そう願うたびに
広がり落ちる滴さえ 私を溺れさせるから
このまま息もなく沈んでく 消えてしまいたい その声の丈を纏う
最後まで自分の中での心の葛藤ともがきが感じられます。
もしかしたら、俯瞰して社会や自分を見つめることができれば、その視点は変わったかもしれません。
しかし、苦しみや辛い出来事の渦中の中にいると冷静に判断ができません。
周りに自分を支えてくれる人や拠り所がないと余計にそうなってしまいます。
筆者もそのような時期があり、それこそ消えてしまいたいと思っていました。
この楽曲はそんな今辛い思いをしている人の気持ちを代弁しているのかもしれません。
最後に
菅野希望さんの紡ぐ言葉はどれも美しく、情景と心情がマッチして、
楽曲全体のアイデンティティをつくっています。
吐息のような歌声、高音で叫びのように届く歌声が感情を揺さぶります。
人生の中で、苦しい時期や辛い経験、楽しいだけではない現実に対峙することは誰にでも訪れます。
そんな時、この「溺没」は心に染み渡り、寄り添ってくれることでしょう。
あぁ、自分だけではないのだ。そう思わせてくれるかもしれません。
ぜひゆっくりと彼女の世界観に浸ってみてください。