someiさんの「アイヲアソンデ 」をご紹介します!
ささやくように、少しハスキーな歌声とサビの甘い声が混ざって表現力が素晴らしいsomeiさん。
幼い頃の自分と世間を生きている大人の自分の対比、そして愛をテーマにした歌詞が胸に響きます。
古いカセットのように左から右へ流れるテープを模したMVが粋ですね。
夜の都会をカセット越しにみているようなビジュアルが美しく、楽曲とともに印象的です。
特にサビは耳に残るので、ぜひ何度もご視聴ください!
歌詞に迫る
あくびをついて様になる
そんな大人になりたかったわ
後ろからついて来る
裸足の自分に睨まれて
裸足の自分とは、幼い頃の自分自身なのでしょうか。
こんな大人になりたい!という願望は子供の頃に抱くもの。
しかし思った通りにはいかなくて、現実の自分との対比にため息をつくこともありますよね。
そんな今の自分を昔の自分が睨んでいるようなイメージなのかもしれません。
あ、あ、あ、愛を歌って 意味はない
愛想笑ってみて 私以外もう通さない
大気圏外までSo far
愛を歌うことに特に意味はありません。
本当は愛を歌って評価されたり、愛は素晴らしいものだと伝えたいのに、
現実はそんなことはなく、若干の落胆が入り混じります。
”私以外もう通さない”とはどのような意味なのでしょうか。
愛想笑いは自分にしか通用しないよ、という気持ちを示唆しているのかもしれないですね。
儚い理想は二重螺旋で
平行線に交わらないの
あれもこれも 欲しがって
もう 見えないわ
”儚い理想”も幼い頃から思い描いていたもの、そして大人になってからできた理想も含まれているようです。
平行線で交わらないのは、理想と現実決して交わらないことを指しています。
自分の中の欲があることは悪いことではありません。
それが手に入らないことに落胆をしたり、諦めたりすることもありますが
欲しいものを手に入れるために努力するのも人間です。
欲も立派で能動的な動機なのです。
過去も未来も手に付かず
考えるだけ無駄になったわ
誰も観ていない映画
カタチを持たないものばかり
過去の自分も未来の自分も、理想や幻想を抱いたところで現状は変わりません。
それならば考えることすら無駄だと思ってしまいますよね。
誰かが創作した映画ですら、それは現実味を帯びずに手をすり抜けるような感覚を覚えるのかもしれないですね。
ア、ア、ア、愛を咲かして 抱きしめて
胸を癒してるの 私だけを傷つけて
蜃気楼の中で踊る
過去や未来に落胆をしても、愛することには未練があります。
愛を咲かせるということは、例え自分が傷つけられてもいいから愛し愛されたいと願うのかもしれません。
馳せる夜に押し寄せるのは
幼い夢と違う現実
何もしたくない 傲慢な 赤い 鬱々
いつも胸の中に秘めている感情が、夜に思いを馳せると浮かび上がってきます。
幼い頃の夢と現実の差異に悩み、板挟みのような気持ちを味わっています。
だからこそ出口がなくて何もしたくないし、気持ちも鬱々と塞ぎ込んでしまうのです。
徒然に徒夢を
描いたって報われない
問題無いとか言わないで
ねえ、お願い
ロジカルに歪ませて
世間に浮かんで観上げてる
心臓が痛いや
誰か抱きしめてくれないかな
夢を描いても意味がないと落胆してしまうのは、それだけ現実に裏切られてきたからなのかもしれません。
大人になるにつれて、何を望んでもどうせ・・という気持ちになってしまうこともありますよね。
そんな自分の気持ちが悲鳴をあげているのを”心臓が痛い”と表現しています。
自分を慰めてくれる人、やはり愛を欲しているのです。
あ、あ、あ、愛を歌って 意味はない
愛想笑ってみて
私以外もう通さないで・・・
ア、ア、ア、愛を咲かして 抱きしめて
胸を癒してるの
私だけを傷つけて
蜃気楼の中で踊る
何度も裏切られた期待、理想とかけ離れた現実、気持ちの持ちようがわからなくなってしまいます。
だからこそ、愛とはこうあるべきもの、愛とは尊いものという気持ちの裏返しで、
”アイヲアソンデ”という題名にしたのかもしれません。
若干の皮肉も入った歌詞に共感を覚えます。
最後に
”アイヲアソンデ”いかがだったでしょうか。
切なさや諦めも感じられますが、大人になって生きていくということを教えてくれています。
リスナーの方も同じような気持ちを抱えている方は多いのではないでしょうか。
someiさんの歌声と世界観がたくさん詰まったこの楽曲、ぜひ大切な人と聴いてみてください。